2009年9月6日日曜日

いささかも疑わず、信仰をもって -Com fé e não duvidem de modo nenhum-

ルーテル・サンパウロ教会 8月30日 聖 霊 降 臨 後 第 13主 日(緑)
聖書
・第一の日課    イザヤ Isaías    35:1-3 (旧p.1116)
・第二の日課    ヤコブ  Tiago    1:2-18 (新p.421)
・ 福  音 書     マルコ Marcos    7:24-30 (新p.75)

説教 Prédica
      「いささかも疑わず、信仰をもって」    -Com fé e não duvidem de modo nenhum-
導入
東京にいるころ、教会も幼稚園もお休みの日に夫婦でのんびり買い物をしているときに、幼稚園の保護者と園児にばったり出会い、あわてて牧師・園長の顔に戻ったことがよくあった。
イエス様は「ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、誰にも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった」とあり、伝道旅行に行かれたのではない、他の理由でいかれた町。そこでこの女に会った。だから、この女性の願いを拒否したのでしょうか?
なぜイエスさまは、拒絶されたのか。「誰でも私のもとに来なさい」と言っているのに。

聖書に聞く
聖書を読んでいくと、ここは異邦人の町。そして、「まず、子だもたちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンをとって、子犬にやってはいけない」と言われます。つまり、準備されているユダヤ人に福音を述べ伝えているさなかで、それ以外の異邦人の時は来ていない」ということが理由のようです。拒否ではなく、神様の救いの計画の順序というものがあると。
しかし、この女性は謙虚で、しかも、粘り強く、機知にとんだ返事をして、食い下がります。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」と。これを聞いて、イエス様は態度を変えられました。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」と言われ、癒しを施されたのです。
「うまいこと言うなぁ」と感心させられます。「さすがのイエス様も、こう言われては仕方がない。と考えさせれます。確かにそうでしょう。しかし、私たちが見逃してはいけない二つの点があります。
一つは、直前の聖書箇所との対比です。律法学者やファリサイ派の人たちとの論争でした。彼らは、一生懸命に律法と掟を守り、一字一句曲げないように行いを大切にしていました。しかし、そこには、本当に神様や隣人を愛する心がなくなっていたのです。それに対して、この、旧約聖書と無縁の、神様の救いの計画からすると準備がされているわけでもないこの女性は、律法を知っているわけでもなく、行ったわけでもなく、キリストとの信仰的な出会いによって、癒しをいただいたのです。律法の行いによってではなく、信仰によって救われるのです。
もう一点は、それを裏付けることにもなりますが、この女性の言葉です。有名な「しかし、食卓の下の子犬も、子供のパンくずはいただきます」という言葉の前の言葉、「主よ」という言葉です。イエスに対する「信仰告白」はマルコではここのみに記されています。イエスさまのことを、ユダヤ人は「先生(ラビ)」と呼びましたが、ペテロは「キリスト」と信仰を告白し、百卒長は「神の子」(15:39)と呼びました。異邦人の女が「主よ」と信仰告白している。キリストは、女性の機知にとんだ熱心な言葉に動かされたというよりも、「主よ」と信仰を告白した彼女の信仰に動かされたのではないか、ということです。
聖書を読んでいて、できるだけそれを守って正しい生活をしてる、という人ではなくて、神様のことを何も知らない。ただ、イエスさまに出会い、この方を「主」として生きていく、信じて、任せていく、その無条件の信頼、それが大切な生き方なのです。そういう人のほうが先に、本当の意味でキリストに出会い、人生を変えていただくことができるようになるのです。

振り返り
今日の第二の日課のヤコブ書は信仰というよりも、信仰に基づいた行いを強く協調していて、しばしば聖書の中で疎んじられる書物の一つです。「信仰」を大切にするルターも、ヤコブ書はあまり評価していないようにも受け取られています。
しかし、今日、ヤコブ書を通して、やはり、信仰の大切さを神様は私たちに教えています。
「いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。 そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。」と。

薦め
最後の頼りの、頼みの綱の、イエス様に拒否され、退けられたら、どうすることもできない。われわれの人生にも、そういう時ないだろうか。神様にさえ見捨てられたかと、思えるとき。しかし、そこで座り込んでしまうのではなくて、この今日の聖書の異邦人の女のように、生きていくことが願われます。
まず、自分が大切にしている他の何事よりも、イエスキリストを「主」とあがめて、この方の全幅の信頼を置いてお任せし、従うこと。そして、「いささかも疑わず、信仰をもって願う」こと。
神様以外のものを頼りにし、大切にしている自分が居続けるなら、イエスさまを「主」と呼んでいる自分ではないのです。そして、退けられても、「そのとおり。私には価値はない。しかし、神様の恵みをいただきたいのです。他の何者に頼るのではなく、神様、あなたにお任せします=主よ」という、謙虚に、しかし、疑わず粘り強い姿勢で願いお任せする。それが、大切な信仰の姿、私たちの生き方であると教えられます。

「重荷を負うものはわれのもとに来たれ。私が休ませてあげよう」という主の言葉は真実です。しかし、そのもとでは、この方にすべてをお委ねする心の準備が、つまり、この方を「主よ」と呼ぶ心の準備が必要です。 お金や、努力や、犠牲は必要ではありません。神様は、私たちを救いたくて仕方がない方なのです。一緒に、安心して、神様をお迎えし、お委ねする人生を歩んでまいりましょう。
皆さんの上に、神様の祝福と癒しがありますように。神様が、一人ひとりの必要を満たし、人生を導いてくださいますように。

祈り

ようこそ

 日本と関係が深いのに、「遠い国」ブラジル。国のことから、こちらの日系社会のこと、パソコン事情、生活での驚き、そしてもちろん教会の働きについて、思いつきでいろいろと書いています。
 キリスト教に関心がある方はもちろん、ブラジルや外国での生活に関心がある方、ブラジル転勤や留学が決まった方・・、お気軽に覗いてみて下さい。

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